愛しさで星は廻る

アイドルオタク活動備忘録

幻日





浮所くんは太陽みたいだ、と思う。

ブログや普段のポストで、彼を幾度となくそう表現してきた。

太陽がなければ、地球は人が到底住めるような星ではなくなる。
人間の生活を豊かで暖かなものにしてくれている太陽に、浮所くんはぴったり。
太陽のような爛々とした明るさで いつもまわりを照らしている。

そんな浮所くんに何度も救われてきた。
心が自分から抜け落ちてしまいそうなときも、気がつけば浮所くんがその心を受け止めてくれていて、そっと暖めてくれる。



月は、あんなに輝いているのに、恒星ではないのだという。
太陽が照らした部分が輝き、わたしたちの目に届く。

昔から人間は、というか日本人は、日によってかたちを変える月に思いを馳せてきた。
たくさんの和歌に詠まれ、月を見る習慣が生まれ、月からお姫様がくるお話なんてものも生まれた。
夏目漱石が、「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したというのも有名な話だ。

どうして月はそんなに人を惹きつけるんだろう。

暗くて寂しい夜を照らす一筋の光だからか。

ならば、とにかく暗く苦しかった頃のわたしの人生を
煌々と照らしてくれた浮所くんは月なのだろうか。


ずっと、太陽だと思っていた。
ひとりになると泣いてばかりで、
夜が苦しかったわたしが頼る眩しい笑顔を、
わたしは太陽のようだ、と思っていた。

明けない夜がないように
鬱屈なわたしの人生に光をもたらしてくれた浮所くんは、太陽だ。疑うことはなかった。

だけど、太陽が照らす昼間が苦しいときだってある。
希望に溢れたような明るい世界が
なにもできない自分を責めたてるように感じるときだってある。
そんなときは、月のように暗さをぼんやり照らしてくれる、
ひとりじゃないよと寄り添ってくれるような光に助けられるときだってあるのだ。

彼を見ると、いつだって彼の放つ無数の光にわたしは包まれる。
夜を夜とも感じないほどに、きらきらと輝く浮所くんに、目を細めながら、それでも一時も見逃したくなくて、必死に追う。
ステージに立って、彼を照らすライトの光を反射させてきらきら輝く浮所くんを見て、わたしは初めて彼を月だと思った。



アイドルは不思議な職業だ。

人を救う仕事は幾らだってあるけど、
(そしてそのすべてが尊く素晴らしいものであることも理解している)
アイドルのように、直接触れずに人を救う仕事はそうそう無いのではないか。

生きる意味を委ねてしまうこともあるし、上手くいかない自分の人生をかけてしまうこともある。

そうやって応援するたくさんの人の陰や負の部分を抱えて、彼らは輝くのだ。
普通にしていては暗く落ち込んでしまうほどの闇は、彼らに抱えられた瞬間にどうしようもなく明るく輝く。
わたしの心に居るときは自分自身を諦めてしまうほど大きかった闇は、浮所くんの手元に預けた瞬間にぱっと弾けて無くなった。

アイドルとは、そういうものなのだ。


だからこそ。
たくさんの人の闇を抱えて、それでも輝いている彼らには、幸せでいてもらいたい。

自分が感じた苦しみや痛み、絶望や涙を知らないまま、わたしより遠く遠くの楽園のような場所で、ただただ幸せに生きていてほしい。

自分のどうしようもない人生を預けることしかできなかったわたしの、ただひとつの願いが、いつも浮所くんを輝かせる光の一部となって、

それを浮所くん自身に反射させて、より輝けるように。

大好きだからこそ、泣きたくなるほどの真っ直ぐな想いにいつも押し潰されるように胸がぎゅっとなる。

これが「人を好きになる」ということなんだ。

浮所くんの一年に一度の誕生日に、
いつも暗くどんよりした内容のブログしか書けないわたしですが
浮所くんの幸せを願う心は誰にも負けない想いでいっぱいです。

浮所くんの22歳が、いままで生きてきた中で1番幸せな、そしてこれからの幸せな未来の序章の1年になることを願って。


2024年2月27日